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福留経営労務管理事務所の所長コラム

中国紀行~民芸品の売り子達とAIJ~

2月28日4泊5日の中国旅行を終えて帰国。
最初に目にした神戸新聞の夕刊のトップ記事に愕然とした。


「AIJ投資顧問(東京)の年金資産消失 84基金 1852億」の活字が踊る。
記事を読むに連れて日本人もここまで落ちたかという思いと、そして強い怒りを感じた。
後に金額は2000億となり制度不備をついた悪質巧妙さが連日報道された。
グループ会社を使ってファンドを操作、資産消失の事実を隠蔽し続けた実態が明らかになった。


元々企業年金基金はバブル全盛の頃厚生省の鳴り物入りで始まった。
単独の大会社の企業年金基金はともかく多くは中小企業の集まった共同事業体(組合・協会)がその受け皿となった。
当時の年金財政は豊富で厚生省は被保険者の健康増進と福祉の向上を旗印に全国に
「ハコモノ」を続々と建設した。
それは結局のところ天下り先の量産でありいくら美辞麗句を並べてもそれは国民から集めた年金財源の食い散らしに他ならなかった。
所謂○○ピア事業である。
バブルの崩壊と共に赤字経営の実態が明るみとなり二束三文でも売却しきれない状況に至っている。
企業年金も資産運用による資産増額の目論見は見事に外れ、その殆どが財政危機に陥っている。
企業年金基金の厚生年金代行部分は年金制度を複雑なものとしつまるところ厚生年金の財源にも悪影響を及ぼしつつある。


多くの企業が基金からの脱退を試みたが脱退には多額の費用負担があり、
基金そのものを解散するにも膨大な費用負担が発生する。
まさに「行くも地獄 引くも地獄」状態である。
苦しい財政の中で「藁をもすがる」つもりでAIJの
まやかしの実績と甘言に乗って多くの基金が出資した。
その期待を担ったAIJそのものが厚労省の天下り先であり、
天下った厚労省OBはその顔を最大限に活かして企業年金基金とAIJを結びつけた。
性懲りも無くまるで甘い蜜に群がる蟻のように利権を貪る。
何とも浅ましい守銭奴のようだ。
額に汗をして老後の備えとして保険料を拠出している
個人や企業の苦しみや切ない想いを踏みにじる 許し難い行状である。


経済発展を続ける中国。
わずか5日の滞在であってもその熱気は十分に感じられた。
昨年今年と成長率をひとケタ台に抑える政策が取られているが、
その前の4~5年は年10%台の経済成長であった。
これはもう国中が沸き立つような熱気の中で拝金主義が正義となり賄賂と汚職にまみれつつ大きな車輪を回し続けているようなものだ。


一党独裁 選挙のない国 不十分な民主化 多民族国家故の紛争 貧富の差の拡大 垂れ流される公害など中国のかかえる問題は山積している。
13億~15億と言われる人口。その巨大さゆえの混迷。
これらの困難をどう打開していくのか。紛れも無く21世紀は中国の時代だ。
それが世界に及ぼす影響として、良くても悪くてもである。
大都会北京の表通りと裏通り、まさにそれは悩める現代中国の縮図である。
党員や要人を乗せて走るドイツの高級車。観光用とはいえ人力車を引く労働者の貧しさとその数の多さ。
垣間見た中国は大蛇が苦しみもがいているようにも見える。
しかしその苦しみも暮らしをよくするためのエネルギーとして暴発気味に現われている。


日本はこの「中国の世紀」とどう向き合いその優位性を維持しつつどう付き合って行くかということが
国としての大きな課題となる。
その日本国内でのこの大失態である。
年金財源を食いものにしてきた過去の反省もなく性懲りもなくさらに食い尽くそうとしている。
諸悪の根源は天下りの最も多い厚生労働省である。
この度の2000億円の消失は誰が責任を取るのか、どうやって失われた財源を回復するのか。
誰も怒らず誰も動かない。一体日本という国はどうなってしまったのだろう。
正義面をして金を貪る鉄面皮の官僚OB。
中国の観光地で人々に嫌がられ罵声を浴びせられても執拗に迫ってくる民芸品などの売り子たち。
確かに嫌悪感はあった。ただ貧しさゆえに、生活のため、家族のために必死でモノを売るこの人たちの方が余程人間として尊いのではないか。
日本人は人間性を取り戻さねばならないし世界に誇る勤勉で誠実で心優しい国民性を
取り戻さねばならない。


平成24年3月12日 福留 章


龍の如く

辰年。十二支の中で唯一想像上の動物である「龍(竜)」があてられる。龍(ドラゴン)伝説は、アジア全域に広がっているようだ。ブータンは文字どおり「龍の国」という意味であり、国旗にも龍が紋章として用いられている。
昨年ブータン国王御夫妻が来日の際、日本の子供たちへのスピーチの中で「龍はあなたたちの心の中に住んでいます」「龍は人格そのものです。だからたくさんのことを学んで心の中に立派な龍を育ててください」と諭されました。
日本では古来、龍は地下や湖底に住んでいて、怒ると地震や大雨を降らして人々に警鐘を発すると言われています。人々の傲慢な生活や、うぬぼれからくる自然破壊。それらが龍の怒りに触れると言い伝えられてきました。「龍の如く」は一般に荒ぶる状態を言う様ですが、実は随分辛抱強く常には我々の平穏を守ってくれているそうです。
新年を迎えて、私は今年を「プロボノ」元年にしたいと思います。「プロボノ」とは知識や経験や技術を駆使して社会貢献をすることを指します。現在続けている「労基法セミナー」を今後も続けることとし、さらに日常的にボランテイアとして色々な無料相談をしていきたいと思います。従来から「世の為人の為」をモットーに仕事を続けてきましたが、これからもその精神を忘れず、さらに精進していきたいと思います。龍はひとたび興るときは、大嵐をついて強烈な勢いで天に昇ります。それぐらいの思いで取り組みたいと思います。 正に「龍の如く」ありたいと思うのです。

「プロボノ」  もともとは「公共善のために」という意味のラテン語が語源。アメリカの弁護士による無料相談が発端。プロボノ活動は、幅広い社会参加の機会を得られ、同時に自身のスキルアップも図れるもので、そうした実感が波及の原動力になっています。


平成24年1月10日 福留 章


「崩」そして「興」

師走。心なしか今年は、何か物悲しく気ぜわしさの中で一抹の寂しさを感じる。今年1年を振り返るとき、今年の漢字一文字じゃ無いけれど「崩」という文字が浮かぶ。3・11が日本中に与えた衝撃は今も人々の心を揺らし続けている。

 遅々として進まぬ震災復興。現地のガレキの山がそれを象徴している。残骸は長い間私たちが豊穣の中で傲慢に生きてきた証ではないだろうか。東北の冬は厳しく、仮設住宅での越冬は難儀なことだろう。

 崩壊の「崩」。私たち日本人が日常的に、豊かさと便利さを追い求め、わがまま、ぜいたく、思い上がりの中で多くの日本の伝統的な文化を喪失してきた。想定外の巨大地震は大津波となってその内陸にまで被害を及ぼした。家も車も田も畑も学校までもが水没、冠水した。命からがら助かった人も家族や友人を失った。大津波は、日本の技術の枠とさえ言われた原子力発電の「安全神話」をその根底から付き崩した。予想だにしなかったメタルダウンが続発した。放射線という見えない敵との戦いは、これから世代を超えて長期にわたって続くだろう。この責任は誰がどのようにとるのだろう。

 人々は厳しい現実の中から立ち上がろうとしている。全国からボランティアを中心とする支援の輪がその広がりと厚さを見せている。時間との勝負の中人々はそれぞれの立場で何ができるか、何をすべきかを考え行動していることを私は信じている。

 ともあれ、時は流れやがて新年を迎える。新しい年に希望を込めて感じ一文字を考えてみる。復興の「興」。個人的にこの言葉をこれまでの人生で何度かみしめ何度果たしてきただろう。苦しみ耐え忍び絶望の淵から生還してきたことだろう。絶対的に「無」という死の影に怯え、その恐怖に耐えられず、おめおめと生き続けてきた。今はそのときそのときの辛抱を健気に思う。

 「興」は、おこること。始まること。盛んになること。盛り上がること。夜明け前が一番暗い。明日という日は明るい日と書く。川の流れも岩や大きな石にぶつかるとその手前で渦を巻いて力を蓄え、やがてその岩や石をも動かす。日本人が古来持ち続けてきた、勤勉で慎ましく持久力のある国民性が、やがて力となって現状を打破し、この震災をバネにして力強く復興を果たすことを信じたい。


 来るべき年が、平和で明るい1年であることを祈りたい。


平成23年12月5日 福留 章


最高だよー

一つ違いの弟が逝って三年。自動車教習所の教官を20年勤め現役のまま、享年59歳。一周忌の法事の席で息子から死の直前のエピソードを聞いた。はっきりと死期が迫るなか、若い頃は結構心配をかけたことがある彼は真剣な面持ちで弟に聞いた。「おやじ、俺、本当におやじの息子でよかったのかなあ」。それに答えて弟は「最高だよー」とか細い声で言いながら黒く細くなった親指を立てて微笑んだという。それは弟の何かいいことの出会った時の口癖でもあった。そして死の数時間前までしきりに「指差し呼称」していたという。

すい臓がんの告知から3年、弟は必死で生きた。絶望の淵で萎えてしまいそうな生への執着、忍び寄る死への恐怖と闘いながら、ただ最後まで仕事をするという一念で明日という日を重ね続けた。軟派と硬派、少し勉強が出来た私と悪ぶっていたお前。大学へ進んだ私とバイクを乗り回していたお前。ケンカばかりしていたけれど、人生の後半は一番気の合う兄弟として、少し張り合っていたりもした。夢だった「人にものを教える先生になる」ことも弟が一歩早かった。そう、お前の逆転勝ちだよ。心にぽっかり空いた穴は今も空いたままだ。3年を生き抜き、最後まで仕事に命を掛けたお前を誇りに思う。来世ではまた兄弟になろう。今度は俺が弟になってもいい。「兄貴、俺、本当に兄貴の弟でよかったのかなあ」もし今、お前が聞いたなら、俺は即座にこう言うよ。

「最高だよー」そう、右手の親指を立てながら。

 


平成23年11月9日 福留 章



崖っぷちのカクテル

家で飲む酒と外で飲む酒が、どうしてこうもその美味しさに違いがあるのか考えてみた。

私は酒場ならカウンターで飲むのが好きだ。カウンターの下で、足を組んだりぶらぶらさせたり、その不安定さがたまらない。「止まり木」とは言い得て妙だ。止まり木だからうっかりすると転倒する。だからある種の緊張感を持って酒を飲む。寝たら仕舞いの家とは大違いである。


強い酒をきちんと飲む。苦くても辛くても平然として呑み会話を続ける。ふと酔いかけるのだが、傍目(はため)を気にして姿勢を正す。ネクタイを締めなおす。本人はそれでいて何か満足感がある。カウンターで寝たり酔って管を巻くなどもっての他だ。日本には古来色々な「道」が創出され発展を続けてきた。日本の文化の中できらりと光る存在感を持って息づいている。柔道、剣道、弓道とくればこれは文化だ。茶道は「酒道」に通じる。もっとも「酒道」は私の独断と偏見に満ちている。


「茶道」にはお茶を立てる側(亭主)と、そのお手前をいただく側(客)の二面がある。その所作の一つひとつに意味があり歴史があり、伝統を色濃く反映している。

無駄のない動きは「静」でありその空間では、静と「無」が交錯する。茶室では誰もが平等であり、上下の関係は消される。


「酒道」というものがあるとすれば、ひとつは、飲んで動かず、酔って酔っ払わず、人に無理強いする事無くもう一人の自分と対峙するのである。自分を磨くために飲むということである。

バーテンダーの細やかな手捌きは「茶道」の所作に通じる。隙のない洗麗な所作は、いやが上にも酒飲みの期待を熱くする。シェイカーが振られる時それは頂点に達し、ひとつの作品(カクテル)が、それにふさわしいグラスに満たされる。


バーテンダーと客の真剣勝負は佳境に入る。アルコールやリキュールや水の配合は「少しぐらい」といってあいまいに許されるものではない。正に崖の上のカクテルだ。崖より外に出れば強いだけのものになり、崖のうちに入り過ぎれば甘いだけのものになる。まさに崖っ淵のカクテルが人々に至福の刻(とき)を提供する。バーテンダーは勝ち誇ったりしない。当然の結果として自分の技量を確認し続けるに過ぎない。


客も何度もいつでも「美味しい」というだけではつまらない。ただ黙って深く味わえばよい。美味しければ少し微笑めばよい。そうでなければ、静かに次の酒を思えばよいのだ。

バーテンダーは客のわずかな反応で手応えを確認しているはずだ。家では味わえぬ酒の美味しさは、まさにその真剣勝負のおかげである。


何だかんだと、酒飲みの酔狂、戯言をだらだらと書いてしまいましたが、とりあえず、私は酒と酒場が好きなのです。

 


平成23年9月13日 福留 章