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福留経営労務管理事務所の所長コラム

「母の日に」

「薫子(かほりこ)」と言う名を あなたは好きでしたね
そんなあなたは その名のとおり 「風薫る」季節に静かに逝きました
ロウソクの灯火が 静かに消えていくように
そして一瞬の輝きさえも いかにもあなたらしく そっとささやかに

あなたの一生がどうであったのか
父に尽くし 6人の子供を育て 幸せと不幸せの狭間であなたは喜びを抑え
苦しみに耐え 微笑みと涙の季節を 繰り返し 繰り返して
何程の酬い(むくい)もないままに やがて老い やがて穏やかに惚けていき
子供の名さえ、にわかに答えられず
そんな自分に抗(あがら)いつつも ゆっくりと あなたのことを 思うことすら
戸惑うほどに 矢のような時間の経過が ふと 寂しく思われます

忘れることは 容易いことかもしれません
新しい思い出が作れない悲しみは 昔のことどもを 記憶の端に のぼらせることでしか
癒すことができないのでしょうか
あなたは 優しく  ついぞ 激しい憤りを表すことはなかった
私の思い出の中にある あなたはいつも 微笑みを絶やしたことがなく
わたしを ことの他 大切にしてくださいました
まだあなたが元気で実家にいた頃 思えば最後の帰省になったとき
「章ちゃんかネ 章ちゃんが帰ってきた・・・・」と やがてそんな自分を
宿命(さだめ)と受け入れて  周りの人に「感謝」「感謝」の日々でしたね

うまくいかないことが多い人生の中で ほんの僅かな幸せの時季(とき)を
あなたは心から喜び 愛おしみ そして 人生のほとんどの長い逆境(くるしみ)の 時季(とき)を
ひたすらに耐え 忍び 堪えて 生きてきたあなた
細く 弱々しかったあなたの どこにそんな力強さが秘められていたのか
そんなあなたの存在が 子供達にとって 実は 最後の心の拠りどころであったことを
あなたは 知っていましたか

幾度かの 夏が過ぎ 秋が逝き 冬が来て やがて今年の春も過ぎようとしています
流れゆく時間の中で 子供のように喜んで 嬉しさを体中で表して 涙を浮かべて
それでも 恥ずかしさと 照れくささを 隠しもせず 襖の向こうから 現れたあなたが
本当に意志が通ずる 最後のあなたと 私でした
あなたに 一度も叱られたことのない私
「章ちゃんは偉いがやき・・・」 「章ちゃんは何でもできるがやき・・・」
あなたの笑顔と この言葉を 私は 一生忘れずに 心の底に深く重く秘めて
これからを生きていきたいと思う

2013.5.12 母の日に 在りし日の あなたを思いながら  ありがとう


平成25年5月12日 福留 章



「ああ 潮江(うしおえ)の名のごとく」

幼い頃の夢を見た。小学校の3年生の時に、神戸から高知に転向。
その時通った潮江東小学校。ベビーブーム対策で急増された学校。
高知市内を流れる鏡川の支流が浦戸湾に流れ込む河口付近に立地していた。
その校歌の冒頭。「ああ 潮江の名のごとく 海と川とが合うところ」。
以来中学、高校と過ごした第二の故郷高知の思い出。
多感な季節は、また可能性に包まれ夢と希望を大きな風船の中に一杯詰め込んで、
はち切れそうな季節でもあった。
そうとは気づいていなっかったけれど幸せだったんだなと思う。
歳を重ねて、夢や希望という言葉が過去のものとなりつつある。
大きくはち切れそうだった風船も、
思い通りにならない人生の波風の中で小さくしぼんでしまった感がある。
最近よく聞たり見たりするのが「エイジレス」や「アンチエイジング」という言葉。
団塊の世代が60歳を超えて老境に入り始めて、新たなシルバー産業の一つとして台頭著しいものがある。
外面だけではなく内面からもエイジレスとサプリメントが花盛り。出版物も多い。
60歳を超えてからの生き方を様々な角度からサポート。
とにかくともすれば怯みがちな心身を、ああだ、こうだと叱咤激励する。
私はサプリもほとんど無関心だしマッサージやエステにも興味がない。
ただし、寄る歳波には何とか抵抗したいとは思っている。
幸せなことに私には定年がない。脱サラをして資格を取り、
士業という天職にたどりついて15年、今日に至っている。
経済的に大成功というわけでもなく、そんな才覚もなくただひたすらに
「世のため 人のため」を念じてやってきた。
来るもの拒まず去る者追わず巡り合ったご縁を大切に。
苦境に陥り絶望の淵をさまよったこともあった。だからこそ人に言えることがある。
だからこそ人に伝えたいことがある。
これからも「人に役立つ社労士」でありたいと思う。
人生いろいろ、まさに海と川とが混ざり合う人生。
「ああ 潮江の名のごとく 海と山とが合うところ・・・」時を隔てて
この校歌の冒頭の歌詞がよみがえる。
ほろ苦い青春の思い出とともに。


平成24年5月7日 福留 章



中国紀行~「万里の長城」にて~

2012年2月25日。
私は確かに「万里の長城」八達嶺の頂きに立っていた。
宇宙から見える唯一の建造物である長城への憧れは小さい頃からの熱い思いであった。
ガイドの勧めもあって上級者向きの「男坂」を上がった。
急勾配の連続、一段40㎝もあろうかという階段。
しかも一段一段の高さが歪で上がりにくく危険だ。
日頃の運動不足がたたって途中2~3度気分が悪くなるほど動悸が激しく肩で息をする始末。
寄る年波には勝てぬ。最後の力を振り絞って一歩一歩進む。
若い人たちから見たらその喘ぎようは滑稽に見えたに違いない。
上がり始めて半時間。ついに頂きに立つ。
気温3~4度にかかわらず体は汗ばんでいた。景色は壮大なパノラマ。
長城が周りの山の峰々を縫って果てしなく連なっている。
圧倒的な景観にかっての漢民族が如何に侵略者である異民族を恐れていたかが偲ばれる。
数百メートル毎に設けられた煙台は異変の報せを都に伝える狼煙(のろし)を上げるためのものだが、
その煙台が長城の景観をより重厚なものにしている。
現在の長城の多くは「清」の時代に修復されて今日に至る。
長城に刻まれた歴史は4千年にも及ぶ。頂きに立つ私の頬を冷たい風が叩くようにして通り過ぎる。
長城を守る衛士たちの頬を打ったのもこの様な風であっただろうか。
しっかりと汗も引いて今度は冬らしい冷気を感じる。
吹く風や澄みきった青空は今も昔も変わる事なく自然のままの息吹として、
長城の歴史とともに時を刻み続けている。
壮絶とも言えるこの国のエネルギーは、この国に潜在する力の根底をなす。
「眠れる獅子」は長い呻吟の時期を経て覚睡して今龍の如く世界を席捲しつつある。
国中が熱に冒されたように燃えている。
悠久の歴史はしかし多くの皇帝の圧政と弾圧の中で貧困と恐怖、悲しみと苦しみに彩られている。
ようやく民主化に目覚め始めたこの国の穏やかで理性的な大国への歩を願わずにいられない。
夕暮れ近く長城の坂を下る。
満たされた達成感の中で改めて中国5000年の歴史の雄大さを思う。
夢が叶ったあとの寂しさもある。さらに年を経てもう一度この長城に来たいと切実に思った。


平成24年4月6日 福留 章



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